さて。
『エリジウム』の監督は
ニール・ブロムカンプ。私は
『第9地区』を死ぬほど気に入ってしまったので、この映画にも大いに期待してしまう。
ところで、ブロムカンプは「ヨハネスブルグ」出身だそうだ。「ヨハネスブルグ」は「リアル世紀末状態」だと私は思っているのだが、現実はどうなのか……ここで一つ記事をご紹介。ガジェット通信からなのです。
『ヨハネスブルグ』のガイドラインはどこまで本当? 大使にきいてみた!不覚にも爆笑してしまった……とは言え、日本に住んでるから笑えるのだろうがね。
何だかんだ、日本はとっても裕福。世界と比較すれば、生活水準が如何に高いか誰にでもわかる。
『エリジウム』では、完全に二極化した「裕福層」と「貧困層」が描かれている。とても見慣れた対立構図ではあるのだが、今の日本人の目にはどう映るのか……
自分の生活や出生とリンクしないので、感情移入する人は少ないのではないだろうか。私見だけど。かく言う私も例に漏れず。確かにじり貧だし、ここ数年で人生最大の不幸も経験したが、明日の生活を脅かされている状態ではない。とは言え、将来は暗い。暗いが、企業から「ぼろぞうきん」のように使い捨てられるような境遇ではないことも確か。でもウチの会社、人使い荒いんだけどね。鬼畜ではないけどさ。
『エリジウム』のような映画は「日頃の鬱積」を晴らすガス抜きとして作用するだろうか。設定が近未来で主演が
マット・デイモンだもんで、私にとっては厳しい。勿論、マット・デイモンに恨みはない。
ただ、あまり好きではない、と言うだけ。
『エリジウム』では地球に残された「貧困層」を助けるため、マット・デイモンが立ち上がる。ヒーローですな!
私だったらどうだろうか……
よしんば、貧困にあえぐ人々を助けるヒーローになるチャンスがあるとして、立ち上がるか……
ちょっと、無理かもね。うん。「貧困層」の中には当然「ただの怠け者」や、「ただの犯罪者」も存在するはず。その割合はさておき。
そんな彼らのためにどうして命を懸けなくてはならないのだ! 無理。私は聖人君子ではない。
ただ、本当にのっぴきならない事情で貧困にあえぐ人も居るわけだ。その彼らのために働けるのであれば、やぶさかではない。なんちゃって。何も出来ないうらぶれたおっさんだけどね!
優しい声をかけるだけで「明日の飯」に困らないのであれば、誰も「貧乏な境遇」を嘆かないのだよ。いくら私が「真の幸せとは物質的に満たされることではない」などと説いても、飯に困る人はこう言うだろう。
「とにかく腹が減ってるんだけど!!」いやはや……やはり日本は恐ろしく裕福な国だ。とは言え、ドロップアウトすると復帰が困難なのは万国共通。
私はこのまま生きていいのだろうか……本音を言えば、「愛する誰かのため」に生きたい。既にその機会は奪われてしまったが、忘れてはいけないので、生きなければならないのだろう。うむ。
「非リア充」生活も悪くないのだろうが、辛いことばかりでね……歳が歳なので。とにかく、
諦めたらそこで試合終了だけど、終了してもいいんだよ。「え! その試合って始まってたの!?」などと疑問を抱いたら死ぬ!
だもんで、ひたすらと草むらをかき分け、進みましょうか。あるいは暗闇を匍匐前進。
生きてれば思わぬ拾い物もあるからさ!
割と本気でそう思ってる次第なのです!!押されると私が喜ぶ……☆
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