
去年の話になるが、従業員の一人が退職した。
本人の名誉に関わる話題なので、名前を仮に「藤岡」としておく。
藤岡氏はギターリストだ。彼のサウンドを直接耳にしたことはないのだが、話を聞く限り、そのスタイルは変幻自在。特に「フュージョン」が好きだそうで、これまでに出会ったギターリストたちと比べると、限りなく本物に近い匂いを漂わせていた。
彼が職場に現れた時の第一印象は「寡黙」であり、少々陰のある感じだった。口を開けば実はとんでもなく助平な男なのかもと想像したが、期待を裏切らず、第一印象通りだった。でも、
少しくらいは助平だろう。うん。 藤岡氏は神経質のようだが思慮深く、言葉の選び方を知っていた。だもんで、より好感が持てた。何と言うか、常に一歩引いたような距離感を保つのだ。その距離感が絶妙であり、彼との会話は何とも心地よかった。
「私の方が年上だから気を遣っているのだな」と最初は思ったのだが、元来、藤岡氏はそのような人物なのだ。
彼は常に自分を下げ、目標に向かい邁進し、己を高めることを忘れない。これは、本物のクリエーターである証。私なんか、足下にも及ばない。頭が下がるばかりだ。
どうでもいいが、私の朝はやたらと早い。家が面倒くさい場所にあり、電車通勤と言うこともあってとにかく早く出勤する。そして、朝はとても退屈だ。今でこそスマートフォンを手に入れたから暇つぶしには事欠かないが、それまではもっぱら本を読んでいた。
ある日のこと。グラフィック関係の書籍を読んでいると、彼が私に声をかけ聞いてきた。「デザインでもやられているのですか?」と。私の創作活動など高が知れている。私は「いやいや。大した物じゃないよ」と言った。
この何気ない会話から彼と話をするようになった。ギターリストと聞けば、ユニークな感性の持ち主を想像する。
そう。彼も極めてユニークな人間であり、私の興味をすこぶる引いた。
藤岡氏はプロの舞台で演奏するチャンスに恵まれたそうなのだが、その当時に編成していたバンド内の色恋沙汰に巻き込まれ、チャンスが潰えてしまったそうだ。
おまけに、その色恋戦争に藤岡氏は全く関与しておらず、他のメンバー同士で勃発し勝手に燃え上がったそうだ。
燃え尽きた後に残るのは、焦土のみ。
この話を聞いた時、私は激しく憤怒した。いや、誰が聞いたって怒るだろう。中坊や高校生じゃあるまいし。俺の女をどうした、ああした、などと言って大事な舞台での演奏チャンスを放棄するなどと……
「勿体ない」などと簡単な言葉で片付けられるわけがない! 藤岡氏はこの事件を振り返り、言った。
「どんな仕事でも、まずやりたかった。足がかりさえ出来れば、後は野となり山となれ」
……この藤岡氏の言葉には
私の脚色が入ってるが、ニュアンス的にはそのようなことを言ったのだ。
藤岡氏が会社を辞めた理由は新たなチャンスを生かすためだった。そう。再び、チャンスが訪れたのだ。
私は記念にと、藤岡氏を食事に誘った。そこで業界を含めた音楽にまつわる話や、作曲のためのヒントを貰った。不思議と、自分がワクワクしてしまう。彼との出会いは私にとって本当に貴重な物であり、大きな刺激となった。
純粋に音楽が好きな人間は、音楽カテゴリを選ばない。プロになるならば、選り好みは出来ないのだから。私は彼に「全力で応援する」と宣言した。素晴らしい未来を掴んで欲しいと祈るばかりだ。
私は彼に連絡先を渡しておこうと思ったのだが、結局やめてしまった。個人的な思いが様々にあり、ためらってしまったのだ。と言うのは、私はおよそ数年間の間に恐ろしく人付き合いが下手くそになってしまったのだ。
私はアホみたいに神経質であり、精神構造は至って脆弱。いつからか、とっても壊れやすくなってしまった。
全く可愛い物でも何でもない。すぐに壊れるおっさんなんか、ただのゴミ以下だ。
藤岡氏に余計な気を遣わせてしまうかも……と言った理由もある。
応援すると聞いた手前、もしかしたら数割増し、彼は余計に頑張ってしまうかも知れない。それがきっかけでチャンスの崩壊を招いてしまうかも知れない。考えすぎだろうか。
私の悪い癖だ。数割増し、余計な想像を膨らませる。
だから死にたくなるのだろうな! とにかく私は藤岡氏のことを心に留め置くことに決めた。彼の存在は、私の人生に影響を与えるに違いない。
過去にバンド活動がうまく行かず、やめてしまった人間を何人か知っている。
結束出来ずバラバラになってしまったり、鬱病と診断されて田舎へ帰ったり……とにかく、創作活動は必要以上の精神力を浪費する。クリエイターの自殺話は決して珍しくないのだ。これを書いている間にも、どこかで誰かが、死んでいるはず。
よし、決めた。ただでは死ぬまい。犬死になんか真っ平御免。
人気のないところで首吊りとか、格好悪すぎるのだ!
如何様に死に様を晒すか……プランは勿論ある。様々に。
例えば、車に轢かれそうな子供を助け、自分が代わりに轢かれて死ぬとか……
一介の男性に命を救われた少年は成長し、世界を救うために立ち上がる勇者となる。勇者よ、世界を救え!
勇者は口癖のように言った。
「……あの時に死んでいたら、この地獄を見なくて済んだのにな……」
例えば、魔女にさらわれた姫を助けに行く展開などはどうだろうか。
魔女は懐から六つのリンゴを取り出し、こう言った。
「毒リンゴロシアンルーレットで勝負! お前か娘からお食べ。ひひひ…」
食べると「必ず死ぬ」リンゴが一つあると魔女は言うが、どう考えても全て毒リンゴだろう。大体、こんな薄汚い魔女がフェアな勝負を挑んでくるわけがない。戯けが……アホでも悟れるわ!
私は魔女に一泡吹かせてやろうと一計を案じた。だが、それを実行する前に姫に言われてしまった。
「この男が私の代わりに食べます! 全部!」
例えば、ある知らない女が自分を振った元彼氏と勘違いし、私を全力で刺すとか……
意識が遠のく中、女の声が聞こえた。
「ごめんなさい! だって、あなたが素敵なのがいけないのよ!」
……
とにかく! 死に場所選びは慎重に!毎度、押してくれてる人……感謝感激で御座います!
押されてるので元気になってます。私が!
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