
さて。日頃からじゃらじゃらと小銭を持ち歩く私。
この日、バスの運賃を準備していると見慣れない硬貨が……
また偽硬貨か! 舐めるな!! と思いきや……よく見ると、「エキスポ75」の記念硬貨だったのだ。さっき調べた。
これはもしや……高価なのでは! 駄洒落じゃないからね! 硬貨だけに!?
普通に「百円の価値」でした! まあ、そうですよね……おつりとして渡された物だろうから、当たり前だ。あ、クラッカーが食べたくなった。
エキスポ硬貨との奇妙な出会い。果たして、どんな意味が込められているのだろうか。

……恐らく、
何の意味も込められてないだろう。だが、
エキスポ硬貨を激しく欲する美少女が現れるかも知れない。大事に取っておこう。
記念硬貨を見て一つ思い出したのが、「五百ウォン」を削った「偽五百円玉」だ。
「偽五百円玉」はあっちこっちで出回り、社会現象にまでなった。と言うか、犯罪。まさか、自分が掴むことになるとは……
私は「何が五百ウォンだ!」と憤慨し、それから憤慨ついでに鬱憤晴らしとばかりに交番へ届けた。だが、ただ没収されてしまった。つまり、
普通にマイナス五百円。えー…… おまけに、おまわりさんから「参考人として呼ぶかも知れないから」などと、駄目押しの一言をたまわることに。もう、ぐったりで御座います。
これではまるで届け損ではないか! 使ってしまえばよかったのだろうが、そこで使ってしまうと別の誰かが掴んでしまうだろう。一銭の価値もないこの薄汚れた「五百ウォン」を掴ませるなんて、私には出来ない。
とは言え、届ければ届けたで「容疑者くずれ」扱い。何なのだ! もう!
だからお金なんか大嫌いなんだ! さて。お金と言えば、竹藪。
竹藪焼けた……そう、竹藪がやたらと熱い時期があった。それは記憶に新しい「一億円事件」だ。あれ? 確か、一億円だったよな……まあ、いいや。とにかく、拾っちゃった人は大変だったろうな。
「竹藪フィーバー」とでも言おうか。薄汚れた豚共が大挙して竹藪に押し寄せ、金を捜索。筍が如く、一億円が生えてるとでも思ったのだろうか。「筍狩り」ならぬ、「一億円狩り」とでも言おうか。
あの竹藪の群像テレビ映像を見た時、私は目を疑った。「こいつら、馬鹿じゃないのか」と。
演出として劇団員を使った、と言って欲しい…… あの人らは、本当に竹藪に金を探しに訪れたのだろうか。信じられない。そこまでして金が欲しいのだろうか。
皆、どうしても金持ちになりたいのだろうか。どれだけ欲しい物があるのだろうか。
欲しい物があるにせよ、簡単に手に入ると分かった時点で欲しくなくなるような気がする。
手に入らないからこそ欲しくなる。下手に富を得たらただの「成金コレクター」となるのではないだろうか。
普段は全く興味のない高額品に金をつぎ込んで悦に入る、と。
堅実な人は投資などに回すだろうか……いや、堅実な人はそもそも、
竹藪に金なんか探しに行かないだろう。 確かに、大金が転がり込んでくれば楽が出来るし、老後の心配も減るだろう。金はあるだけあっても、邪魔にはならない。不安定な社会だからこそ、金が欲しくなる。
だがしかし、それでも言いたい。貧乏人の戯れ言に過ぎないし、ここに書いても仕方がない。それは百も承知で敢えて書く。
真の幸福とは、金の力によって手に入れる物ではない。 ただ……金の力があれば失わなくてもいい幸福があったのも事実。
裏を返せば「金が奪った」とも言えるのだろうが……
金の力で、「大事なあの人」を、救えたかも知れなかった……
金のない自分こそ、無力この上ない存在……考えてると、色々と嫌になってくる。
金のない人間に価値はないのだろうか……すこぶる切ない限りだ。
毎度、押してくれてる人……感謝感激で御座います!
押されてるので元気になってます。私が!
にほんブログ村※2014/06/28 編集……
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